○○ ○様

自身の現在と思うところに関して

まずは度重なるご連絡をことごとく無視し、失礼であったことを謝らせてください。

最後にお会いした、よく待ち合わせした公園で口ごもりつつ活動にはもはや加わらない、とやっと話した時から半年以上経過しました。

あの時の気持ちと今現在の気持ちは基本的には変わらないと認識しています。

あの時話さなかった上記の意思の「理由」を詳しくお話します。

1 経緯

漠然と常に、また会員誰もが思うところでしょう。

「本当に正しいのか?」

私が日蓮大聖人の仏法に触れ、活動を重ねていくうちにその崇高で現実を伴う生きた宗教というものを体感して感激し、今までにないすごいものに回り逢ったと、指導のままに体をぶつけてきた10年間でした。

世間の誤解は時が来れば必ず解ける、会内でのどんな問題・疑念もご本尊さえ見失わなければ必ず解決する、浅井先生の言うことさえ・・・・・・・

仏法、大聖人、諸天の感応。理論は完璧だと思いました。実践は大変だったけど、同士・先輩・幹部の方の、指導・体験談は参考になりました。

先生はすごいだ。

いつからか言い聞かせている自分がいました。総幹では目頭の熱くなる体験談で自身を陶酔させてから会長指導を聞くように心がけるようになりました。

なぜか

「おかしい」

と思わなくなっていました。勤行・折伏がつらいだけになりました。

自分が電話に出なかったのは、つらい自分が恥ずかしかったからです。罰がでるかも、と思いながら逃避をしていました。それではだめなんだ、と言い聞かせ組織に連なると幾分ほっとした気がしましたが、すでにほぼ全ての友人を疎遠にし、対象者はほとんどいないつらい自分があるだけでした。

同士との語り合いも気休め、ただ時間を消化する、心身ともに疲弊していく信心活動でした。

退転してより去年復帰するまでの生活は、振り合えってみれば生涯において最も所得が多かったのでした。

職場環境は決してよいものではありませんでしたが生活の基盤は得ていました。

転職を考え、次の会社が決まったときに連絡をいただいたのでしたね。自分に不安もあり、また懐かしくもあったためお会いしました。それよりはすこしずつまた信心してみようと決心したのでした。

私のことを良く知り、気持ちを汲んでくれた○○さんには感謝しています。

転職先の会社で、早々に退職を余儀なくされ、会館に程近い会社が決まったときは

「ご仏智」

と半ば喜び信心第一でと参詣をがんばってみました。

○○さんが言うように

「退転の罪障は大きい」

と体現していくような日々が続きました。結局その会社は逃げるように辞めたのでした。

その少しまえ、妻に顕正会で活動を再開していることが伝わり、認めるようであまりよく思っていない彼女からネットの情報を見るように勧められたのでした。

インターネットの顕正会についての情報は前々から見ないほうが良いと聞いていましたので、妻には反発し、見てはいけないものという認識でした。

しかし妻のコンピュータから流れる映像には、現役の男子部幹部が映り、その方の登壇も見ていたため様子を伺いながら映像を見たのです。

それより少しずつさまざまなサイトを探し出し、克衛氏 ・ 浅井先生 の衝撃的な映像・音声を見聞きしたときには大変なショックを受けたものでした。最後までとっておいた「見てはいけないもの」をみてしまったような気がしました。

だんだんと、そして加速度を増して疑問が湧き出てきました。

同時に10年のうちに起こったことが脳裏によみがえり、自分の大事なものを捨ててもっとも大事な仏法を取ったはずなのに

自分は両方失ってしまったのかと茫然自失、半ば放心状態の何日かが過ぎていきました。

悪口中傷ならなんともないのですが、会自体の問題、すなわち

会館のご本尊の真偽

血脈の真相

国立戒壇の是非

について書かれたホームページは意外に多く、放心状態から抜けた後、どうしても知りたくなり自分なりに調べてみたのです。

結論から言いますと、現在の顕正会は間違っていると思います。もし日蓮大聖人の仏法が真の正法であり、顕正会が唯一正しく信行しているのならば上記問題の項目について納得のいく回答をしてほしいと思っています。

私が入信した当時は顕正会の本尊は日蓮正宗富士大石寺より下付を賜ったものであり、ゆえに正しい力があり成仏できると教わりました。

しかし、現在数多くの地方会館に安置されている「日布上人御形木ご本尊」は、妙縁寺松本御能化より譲り受けたとされる本山よりのご本尊の中に、その存在がないものであることは否定できないと思うに至りました。

自分が組織を離れ、活動の一切を拒否している理由は多々ありますが、最大の理由は上記ご本尊の件についてであります。

正しい団体が謗法行為をしているということはどういうことなのでしょうか。自分の記憶が間違っていなければ○○さんにそれとなく聞いたとき、「最終的には自分たちには伺い知れない事柄。先生を信じるしかない。」旨の返答であったことを覚えています。

信仰の根本に対する疑問を正確に回答してほしかったのですが、そのような内容の見えない会内での暗黙の認識をさとす発言のみであったことは失望でした。

自身の顕正会についての疑問が確立したときから、勤行や罰など退転以前に常に意識していた顕正会での基本的な認識はほぼ消滅しました。幸運・不運、好調・不調は10年前と変わらず普通に存在しています。この文章を書いている今は、茫然自失、放心状態、そして真相を求める中での言い知れない憤りを経験して、結局自己責任ですごした10年間であったのだから自業自得であると割り切り、失った10年間の自分をどこまで取り戻せるか、できる限りがんばってみようと考えています。

2       意思表示・疑問の回答

私は顕正会の所属・活動・信仰の一切を拒否・停止することを希望いたします。

前記経緯を踏まえました上で、顕正会においては現在も「退会・脱会」の概念を認めていないと思われるので、創価学会などのやり方では独自の脱会届を内容証明郵便にて本部へ送付するなどの方法がありましたが、私は○○さんを信頼してこの書面にて完全な意思表示としたいと思います。

お願いとしまして、顕正会に関することで自宅・携帯の電話には連絡をしないでください。その内容をやり取りする手段は電子メール・書面での手紙に限ってお願いいたします。

どうしても私の希望・お願いを認めることができない、あるいは私が望むことに反して私の苦痛と思う事柄を敢えてするという場合は、さまざまな方法を踏まえた上で対応を考慮し、考えられるかぎりの自衛による利益の確保のための行動を実行する可能性があると認識してください。

1の経緯 にて私が疑問に思う三項目に関してですが、別記にて「資料」という形でインターネット上から収集したサイトURL・抜粋文章をHTMLファイルで付録してあります。

ご本尊に関しては前記の通りですが、血脈についてはさまざまな立場の方がいろいろな憶測をしている状況です。

私が最も信心活動をがんばっていた時期に御遺命守護完結があってよく覚えているのですが、「御遺命守護完結であっても本山へは復帰しない」というのは以前の浅井会長指導と矛盾しているのでは、との情報をいろいろな方がサイト上にて論議しています。

当時は疑問もなく、矛盾点もわからないというか全く考えようとしていなかったのですが、冷静になるとどう考えてもおかしいですね。

○○さんはどう感じたのでしょうか。妙信仰時代の会内の資料を多く所持し、壮年部の方にもよく知っている人が多いし、完結式のとき疑問湧かなかったのですか。

「血脈は断絶すれども目師出現のときはよみがえる、そのようにできている、時が来たら皆さんに必ずお話しようと思っている」、と浅井先生は確かに言ってました

解らないものをなにか常人にはわからない、触れてはいけないもののように覆い隠し、「信じるしかない」と疑問を持つことを否定させるやり方はおかしくないですか。

ご本尊・血脈に関してですが、顕正会本部、または浅井会長の公式な見解があれば教えていただきたいと思います。私への顕正会に関する連絡をいただける際、その見解等を拝見することができるならば、お願いしたいと思います。

また別記の資料に、元顕正会女子部(自称か)が組織に対してした質問(資料中“A”)に関しても回答が解れば教えていただけるとわたしの疑問が解けるかもしれません。

最後の「国立戒壇」に関しては、顕正会の主張が正しいと思っています。しかしながら三大秘宝抄の「三国ならびに〜踏み給うべき戒壇也」の後のくだり「この戒法建ちのち、延暦寺の戒壇は理の持戒なれば益あるまじき」の解釈に関しての説明は妙観講の樋田氏の説明の方がよくわかりました。

しかし、広宣流布の後に国立で本門戒壇を建立という順序はこれが正しいと思います。事と義のたて分けは宗門側が一日の長があると感じました。

この件に関しては説明があればお教え願いたいと思います。

3 最後に

紹介者の方より折伏を受け、わからないまま入信ということになった平成8年○月○日のあの日から10年余りたちました。

日蓮大聖人の仏法が本当に正しいのか、顕正会の主張が、信行が本当に正しいのか、あるいは間違っているのか、それは本当のところ私にはわかりません。

私はただの凡夫ですので教義の奥底は判ろうはずもありませんが、言いたいことがあるのです。

今の顕正会はやはりおかしい。

何より各会館のご本尊、その真贋は顕正会で信心しているものの生命の根幹にかかわる重大事であることは論を待ちません。

私においてはその信仰をも失ってしまっているような状態でありますが、もし信じるものに裏切られ、重大な過ちを犯しているとなればこれ早急に事の真相を解明すべきかと思います。

若輩・非力・無学な者がかくも生意気を云い重ね重ね失礼仕りました。非礼をお許しください。しかしながら私の意志・疑問等は尊重していただきたく

ここにお願い申し上げます。

平成18年9月14日 記

                                                                          壮年部移行系

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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